「私のこだわり」 新田 謙治郎
この課題を与えられてはたと困ってしまった。出題者は「人はこだわりを持ちながら生きているものだと思います。そのこだわりがその人をその人たらしめている特徴でありましょうし、個性でもあります。」というが、これは尤もに思えて、はて自分はと考えると、どうもしっくりこない。
まず、私には自慢できる「こだわりの一品」なるものが、どうしても思いつかない。例えば、車の話だ。私は昭和39年にまだ月給が2万円に満たなかった頃、8万円でポンコツにされる直前のトヨペットクラウン(1,500CCの観音開き)を買った。当然いろいろな部分が故障するが、修理に出す金が無い。車に詳しい友人の仲間6,7人と共同でポンコツ車を買って、我が家の庭に放置し、各人好き勝手にその部品をばらして、自分の車の部品に当てる訳だ。エンジンを取り替える人も居たし、ドアやシートを取り替える人もいた。私はミッション、ジェネレータ、ボンネットを取り替えた記憶がある。勿論、ブレーキ・シューやクラッチ・プレートは新品の部品を買って来て交換した。そして、この車で6万キロ走った。
これで中古車を乗り回す自信をつけて、以後40年間、今日のBMWに到るまで10台の中古車に乗ったが、これは勿論、私のこだわりではない。新車を買うと2年間で半額になることを考えると、中古車を買って4,5年ほど乗ったほうが、コスト・パフォーマンスが良いという単純な理由に過ぎない。金が有り余っているなら新車のほうが気分は良いに決まっているが、私には車をきれいにピカピカに磨く趣味は無いし、車は目的地まで快適に運んでくれれば、それで十分と思っているのでそれ以上の期待も無いし、こだわりも無い。
趣味の話はどうだ。音楽鑑賞とか絵画鑑賞という受動的な趣味はあるが、自分で能動的に活動する趣味を残念ながら今は持っていない。小学校6年から3年間ヴァイオリンを習ったが、ついに自分に快適な音を出すことが出来ず、辞めてしまった。メニューヒンとかシゲッティなどの生演奏を聴く機会に恵まれたことが、却って辞めるきっかけになってしまったのかも知れない。
中学校の時には毎日3時間ぐらい卓球の練習をして、宇部市の中学校対抗で個人、団体とも優勝したことはあるが、高校に入って結核で3年間休んだために、会社生活を始めてしばらくするまで、運動はしなかった。35歳になって始めたゴルフは、かなり夢中になり、特にアメリカ駐在の時はシーズンになると毎週ゴルフが出来て楽しかった。しかし帰国直前から体調を壊し、3年間入退院を繰り返す羽目になって、五年間ゴルフも出来なくなった。最近ようやく復活可能な状況になったとはいえ、飛距離もスコアも惨めなものである。それでもゴルフが出来、気の合った仲間とラウンドが出来るのは楽しいものだ。ただし、これとて「こだわり」というほどの事はなく、ゴルフ道具もこだわる以前の実力だと思っている。
コーラスも中学校から大学卒業まで夢中になったが、昭和54年以来、15回も首の周りを手術したため声帯周辺の筋肉がすっかり無くなり、1オクターブの音域も出なくなった。その上昨年、喉の気管切開手術をしたため、喉を押さえないと声すら出せない身体になってしまった。
音楽鑑賞のほうはかなり入れ込んでいて、今でも月に1,2回は演奏会に出かけている。アメリカ駐在の時は、ボストン・シンフォニーホールやタングルウッドを中心に、ニューヨークのカーネギー・ホールやメトロポリタンに良く通った。
日本で困るのは、超一級の演奏家が来日した時のチケットの入手が困難なことである。例えばベルリン・フィルとかウイーン・フィルが来日した時、ある土曜日の10時からチケットの発売で、10時少し前から電話をかけ続けても繋がらず、2時間以上かけ続けてやっと繋がったと思ったら「すべて売り切れ」ということになる。最近はもう諦めて、アプローチすらしない。どうやら、コンピュータと接続して電話をかけまくっているダフ屋がいるらしい。かなうわけが無い。それでも発売日を注意深くウオッチしていると結構チケットの入手は可能で、そこに期待以上の演奏にぶつかって感激することも珍しくない。特に、私の好きな室内楽(特に弦楽四重奏)のチケットは入手が容易で、助かっている。
但し、クラシック音楽といっても、「これでなくては」という「こだわり」の作曲家や演奏家がいるわけではない。「モーツアルト」でなくてはとか、「オペラ」でなくてはとかというこだわりは無い。勿論好き嫌いはあるが、バロックから現代音楽(といってもせいぜいバルトーク、ショスタコービッチ位まで)まで幅広く好きだし、ちょっと変わった所ではゴスペル・ソングの愛好家でもある。思い出せばボストン滞在時、2月は
Black Month と呼ばれ、毎年ゴスペル・コーラス大会を楽しんだ。午後2時から夜8時頃まで、20位の全米から集まったグループが延々とゴスペルを歌うのだが、面白いのは観客(多くは黒人)も席から立ち上がって、手や腰を振りながら拍子をとって疲れることを知らない。
ところで、「どうしてもこれが聴きたい!」と、演奏会にこだわった想い出が数回ある。その例を紹介してみよう。大学一年の時、ベルリン・フィルハーモニーがやって来るというので、朝一番電車が動く前の4時頃に、渋谷の東急チケットセンターに歩いていったことがある。私の前に40人ばかり居ただろうか。そのうち、次第に長い行列が出来た。9時になって発売が始まったが、なんと私の数人前で売り切れになってしまった。これにはさすがに頭にきて、朝日新聞に「なぜ発売枚数を予め掲示しないのか」と投書した。数日後にそれが記事になり、下宿先に新聞社の旗を立てた黒塗りの車が止まり、謝礼の手土産(お金ではなかったと思う)を貰って、多少溜飲が下がった。
ヨーロッパに一人で出張の機会があったとき、ブリュッセルのグランプラスのコーナーにある旧いクラブ(名前は忘れた)に「今夜9時からゴールデンゲート・クヮルテットの演奏」という看板をみつけ、欣喜雀躍6時ごろチケットを求めに行ったら、まだ掃除の叔父さんしか居なくて、8時にならないと開かないという。ホテルから徒歩20分の道を再び歩いて8時ちょっと前に着き、窓口が開くと同時に申し込んだら「ここは会員制で、今夜のチケットは全部売り切れ」という。ここで引き下がってはと思い、「自分は20年前にゴールデンゲートの日本公演を聞いて大感激をした。このたびここで演奏会があると聴いて、わざわざ日本から昨日発って来た。」と熱心に頼んだ。売り子のお姉さんは甚だ困っていたが、「多分駄目だと思うが、ひょっとして空席が出来るかも知れない。開演まで待つか?」というので、「勿論待つ!」と粘った。ところが入りが良く、どうも空席が出来ないらしい。お姉さんがしきりに太っちょのマネージャらしい人に話をしていたが、開演直前になって手招きして、入れという。中は全員でも50人も入れないクラブで、既に着飾った紳士淑女は着席している。その通路にいすを2つ置いて、それに座れという。もう一つには、既にただ一人の黒人が座っていた。
入場料は要らないという。結局ドリンク代2つだけで午前2時まで、2ステージ分たっぷり懐かしいゴールデンゲートを満喫した。終わって外に出たら、グランプラスの中世の建物がフットライトを浴びて、この世の物とも思えない美しさに輝いていた。
このことに味を占めて、チケットセンターに何度も足を運び、おばさんが根負けして空席をあちこち電話して探してくるという経験が、ウイーン・オペラやパリ・オペラなどでもあった。
絵画鑑賞もかなり入れ込んでいて、特に海外主張や個人的な海外旅行の時にはなるべく時間を作って回ることにしている。日本の展示会にも良く行くが、大抵満員電車の中で絵を見ているようで、近頃は「泰西名画展」なるものは避けて、日本絵画や陶芸展などを選んでいる。それでも、出光美術館やブリッジストン美術館所有の展示物を交換展示した時はねらい目で、人は少ないし、新しい発見が出来る。出光が数年に一回展示するジョルジュ・ルオー展など、最も好きな展示会の一つだ。一昨年の大原美術館所蔵の絵画の総展示があったときも、倉敷まで家族で見に出かけた。
海外での絵画館めぐりも、楽しい想い出が一杯だ。その一つ、パリに出張して帰る日の朝、オペラ座の裏側にある「グスタフ・モロー美術館」に帰り支度の大きなスーツケースを抱えて、開館10時から扉が開くのを待った。ここはモローの生家で、遺言によって絵画総て共々にパリ市に寄付されたところだ。荷物を預けて1階からゆっくり4階まで見て回ったが、観客はただ一人。監視員が私の興味の程度をウオッチしていたのか、「倉庫にまだ沢山あるから見てみるか」という。鍵を開けてもらって、身動きできないほどに沢山ある絵を1枚々々めくって楽しんだ。
その時、コートダジュールをレンタカーで乗り回したのがBMWで、曲がりくねった道を飛ばして走ってもローリングしないのと、回転半径がとても小さいのが気に入って今の愛車になっている。
好きなこと、楽しいことを追っかけてはいるが、それを「こだわり」と云うのかどうか。
さて、最後になってしまったが、仕事に対する私の「こだわり」は何だったのか、と考えてしまう。就職時にわがままを言って配属し貰ったオートメーション部で「計算制御」部門を止めるということになった時の配属先に、かなりの自己主張をしたが、それ以降は3回の配転先も私の選択ではない。どこに配属されても、苦しいこともあったが、楽しいことがはるかに多かった気がする。
私は思ったことを我慢して口に出さないということが出来ない性なので、上下地位に関係なく、ストレートに物を言ってきたと思う。そのために人の気持ちを傷つけてしまったことがあるかもしれないし、上司からも怒られたこともあった。
一つ例を挙げると、事業部長研修の最後の日に社長講話があり、その内容の一部がおかしいと後の質問時に発言したら、「そんな事業部長は辞めちまえ!」と大声で怒鳴られた。会議後、幹事役の企画担当取締役が私のところに飛んできて、「社長は怒っていい人とそうでない人との区別はちゃんとつけている人だから気にするな。それにしても、あんな言い方は無いよね。わたしからも注意しとくから。」と慰めてくれた。ところが一週間後に、常務以上が参加して夜通し議論する合宿に呼び出されて、私の発言の真意を具体的に説明するように求められた。それがきっかけで、C&Cの組織改革に発展していった。NECは懐の深い会社だとしみじみ思ったものだ。
以降、「言いたいことが言えないような会社なら、辞めてしまいなさい。」と家内に太鼓判を押されてやってきたが、そういう人間を暖かく受け入れてくれる会社に勤められたことを、本当に幸せに思う。
こだわりと言えば、「何が会社にとって大切か」は常に考え続けていたと思う。その観点から、「自分の考えに固執することなく、常に良い意見や良い情報を最大限に活用しようとしてきた」ことが、しいて言えば「私のこだわり」かも知れない。 以上
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