私のこだわり        辻 淳二  
 
  
 私は、自分ではこだわりが薄い方だと思っている。当然というべきか、「こだわりの一品」として思い当るものは、愛用品、食べ物、書籍/映画/音楽CDなどなど、いかなる切り口からも出て来ない。さりとて、何も書かないとなると特集企画者に顔向けができない。そこで、ハードがなければソフトで行こうと、以下の3項にて投稿の責めを果たすことにした。

 「自分らしい生き方をする」

 先ず、「自分らしい生き方をする」という点で、結構こだわったような気がする。それは、大学卒業後NEC(株)に勤めて十年近く経って、「若い内の今はいい(実際、技術者天国の風土の中で概ね恵まれていた)けど、自分は大組織に居るとだんだん伸び伸びと動けなくなるなあ」と、組織と自分との間に予見される相性に気付いたことに起点を発している。そこから、「小ながら自立」の方向を求め始め、修業のステップとして当時200人規模だった(社)日本能率協会(JMA)グループのIT子会社(株)JMAシステムズに転じ、十年後に個人企業である(株)辻システム計画事務所を設立したというキャリアパスに繋がった。JMAグループを十年で終える(当初はもう少し早くと思っていたが、途中で十年がいい区切りと思い直した)決心をした辺りからは、「十年で転進」を目標としたり、「20〜30歳台は科学技術、40〜50歳台に社会科学にシフト、60歳を過ぎたら文学に近づく」と近しい人に話したりもしていた。それは、そうなることが「自分らしい生き方」に繋がる、それなら意志表明することで自分の背中をその方向に押してしまおうとしていた、つまり「こだわりの世界」に入っていたことを裏付けていよう。現実には、全くその通りとは行かなかった。それでも、いま65歳になって何が自分の取り柄かと考えた時、多岐に個性的な人達とのご縁があり、それが「自分らしい生き方にこだわったキャリアパス」からもたらされていることに思い至ると、結果的にこのこだわりは我が人生に大きなプラスの作用をしたということになる。

 「数分余計に時間を掛けて、一言気持を込めてメールを書く」
 
 
次に、近年こだわっているかなと自分で感じているものに、メール文を以前よりはやや気持ちを込めて書くようになっていることがある。メールは、要職にあって一日に何十・何百とやりとりする人もあり、努めて簡潔に書くのが作法と言われている。ところが、私の場合は、一日に送受それぞれ十数通前後。主たる相手先として先ず最初に来るお客様層は、この歳になってもまだ私を贔屓にして下さる何とも有難い方々。大口のコンサル案件の顧客であっても、小口のSE研修や主催イベントの顧客であっても、その有難さには何ら変わりがない。次に来るのは、何かの連絡要件がある時にメールで会話する友人たち。これには、こまめに連絡し合う長い縁の人からほとんど切れかかっていた縁の人まで、いろいろある。さらに、それぞれに自立して暮らしている子供たち。そして、こうした繋がりも、年とともに細って行く方が多いだろう。とすれば、今ある繋がりは貴重で大切なものということになる。それなら、私の場合は、ビジネスの作法に囚われることはなかろう、むしろ、数分余計な時間を掛けても用件に気持ちを通わす一言を添えて送ろう、それが通じて近しさを深める/呼び戻せることになれば幸せなこと、と多少のこだわりを持ってメール文を書くようにしている。

 
「夫婦とは、こだわりのぶつかり/融和のエンドレスな関係と見つけたり」

 もう一つ、「夫婦とは、こだわりのぶつかり/融和のエンドレスな関係と見つけたり」という話を記そう。冒頭に書いたように、こだわりが薄い、さらに人の言動に対する受容幅も広い方と思っている私なのに、家人には「貴方は頑固だ」と評されている。どうしてこうなってしまうのか、これまで腑に落ちない気持ちで居た課題を、この稿をキッカケに引き付けて考えて見た。現実には、私が習慣的にやっている振舞いが良くないと家人が注意してもなかなか変えようとしないところで、つまり、割に日常的な会話の中でこの言葉は発せられている。直近の例で言えば、「お魚の、身と骨や臓物を分けての食べ方が雑」(家人のは、確かにきれい)、「蕎麦をゆでた後、鍋やザルをすぐ洗わない」(一人で居る時しかやらないので、「先ず食べる」になりがち)、「ソファーに座って話している時に、足を組む等、行儀悪く座る」(お客様の前でもウッカリやりそうになるのは問題)等など。ここまで考えてハタと、「こだわり」というテーマに面白い綾があることに気が付いた。「そうか、これは、夫婦間のこだわりのぶつかりだ」と。しかも、家人の方に「かくあるべき」とのこだわりがあるのにそこに私の方ではこだわりがないところで、私の方がこだわっている(すなわち「頑固」)と見られている、ということなんだと。

 そしてこれは、図らずも大切な気付きになるようだ。我が家では、上記の例のような「夫婦間のこだわりのぶつかり」はあれこれとあって、専ら指摘される側の私は、自分にこだわりがないことだと直す意識が低くて“再犯”を繰り返している。私の方が「やんわりと構えて、バッファーになっている」と思い込んでいると、家人の方の「頑固」と感じる思いは増えはしても減っては行かないのかも・・。これから一緒に居る時間が長くなると、もう少し気を遣って融和に努めていかないといけないのかなあ・・。もちろん、「これは尤も」と気付かされる指摘も多々あって、その場合は受け容れて直していて、「ひたすら頑固」ということでは毛頭ないのだが。

04.9.26


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