ヒューマニズムの人(新田さんの想い出)
私は、新田さんとは仕事上の接点は余り無かったように思います。1978年〜79年頃、私は川崎製鉄叶島製鉄所(現在、JFEスチール叶シ日本製鉄所の半分を構成)の次期ホストコンピュータの機種選定に携わっており、当時、日本電気鰍ナ製造業向けのコンピュータ事業の責任者をなさっていた新田さんと何回かお目にかかった記憶があるくらいです。
新田さんと私の間に継続的な接点ができたのは、私が1982年に転勤で上京した後、1984年に辻さんが設立された当「経営と情報通信研究会」に顔を出すようになってからです。それでも、年に6〜7回開催される例会にお互いに毎回出席できるわけではありませんから、新田さんに直接お目にかかれたのは、年に数回だったでしょう。しかし、その回数以上に新田さんという人を深く知ることができたのは、当研究会の会報を通してです。
当研究会の会報は、当初は「年報」として年に1回編集発行されていたのですが、1999年に辻さんの特技であるベンチャー精神で現在のようなホームページの形に改変され、しかも月刊に改められました。このことで、研究会の会員間の情報交流が飛躍的に稠密なものとなり、その中で「新田さんの人となり」について随分新しい発見が得られることになりました。
その発見の中で私が最も胸を打たれたのは、2002年11月号に掲載された特集企画「私の宝物」に新田さんが投稿された「オクトパスの仲間たちと共有した感動」という文章です。それまでも、お目にかかる都度「人間を本当に大切に考える人」という印象を持っていたのですが、この投稿文を読んで、その心が学生時代から継続している筋金入りのものであることを改めて知ったのです。
「新田さんの人となり」を表す言葉として、私は「ヒューマニズム」と「謙虚さ」を挙げたいと思います。2003年1月15日の例会で、寺嶋実郎さんの著作「歴史を深く吸い込み、未来を想う」を材料に話題を提供されたとき、新田さんは、人類が普遍的に守るべき原理としてのヒューマニズムに重きを置いた立場からお話をされていたと思うのですが、私は政治(歴史)のリアリズムを直視すべきとの立場から反論めいた意見を述べました。あの時は、新田さんのお気持ちは十分に理解しつつも、若気(?)の至りで勇み足をしてしまいました。今はもう、新田さんのヒューマンなご意見をお伺いする機会が無くなってしまい、本当に残念です。
また、、新田さんが3回も大病を経験し、努力の末それらを克服して来られたことも、当研究会の会報で知りました。いつも「春の海」のように周囲を暖かく朗らかになさる新田さんが、そのような厳しい冬を経験なさって来ていることを知り、人間の強さ・生命力の奥深さを教えられました。
末筆ながら、新田さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
![]() |