新田謙治郎さんを悼んで 高村 賢治
1995年に発行された研究会年報(十周年記念号)の巻頭言に、当時米国ボストンの地に赴任されていた新田さんが「10年目を節目に、どうか米国まで足を伸ばして下さい。百聞は一見に如かず。当地で夜を徹して、今後の日米企業の強みを融合できる新しい経営モデルについて皆さんと議論してみたいものです。」と呼びかけておられました。ボストンの地で夜を徹して新田さんと議論する機会が持てていたら、それはかけがえのない人生の糧になっていたに違いないと、今になって思ってしまいます。
私は、その後の10年間、研究会でお会いし、ホームページの寄稿を読ませていただくたびに、どんどん新田さんが好きになってゆきました。特に、研究会での食事中にたまたま川崎製鉄の作業のお話を伺った時は、「ここにも、地上の星がいた!」という感動に襲われました。その後、「新人の頃」という寄稿でより詳しく状況を知ることができ、一層感銘を深くしました。そこには奥様とのエピソードも語られていて、いかなる時にも心の余裕を保つことのできる新田さんの特質が、新人の頃から歴然と現われていたことを知りました。
新田さんは、識見と人格が共に備わった稀有の方だと思います。その方と直接お話し、意見を交わす機会が持てたことは、一生の財産であり一生の思い出になります。
もっともっと長く、日本のためにその存在を示し続けていただきたい方でした。心より、ご冥福をお祈り致します。
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