五十番の肉饅
黒木 靖生
「経営と情報通信システム研究会」は、創立した1984年以来の10年間は毎年、「年報」という形で活動報告をまとめた小冊子を発行していました。この「年報」はその後、インターネットの普及に合わせて、ホームページ形式で、しかも毎月発行する「月報」に変化しましたが、私は、それまでの10年間、毎年この年報の編集に携わると共に、第5、6号については編集長も務めさせていただきました。
この「年報」の編集作業は毎年、神楽坂にあった辻さんの仕事場(樺メシステム計画事務所)で行われました。辻さんが、どのような経緯でこの神楽坂という華やいだ名前の街に個人事務所を構えるに至ったかは聞いていませんが、1984年当時、神戸から東京に転勤して間もなかった私には、小説で読むような名前の街でした(しばらく経って実際に歩いてみたら、極めて庶民的な街だと分かりました・・・)。
「年報」の編集作業は1ヶ月に1回くらい、平日の午後7時前後に始まって9時過ぎに終了し、その後は皆で神楽坂の街に繰り出し、夕食を取ってお開きにするというのが通例でした。「神楽坂の街に繰り出す」と言っても、もちろん料亭などとはトンと縁が無く、中華料理とか家庭料理の店ばかりだったのですが、そういう店に行くために神楽坂の狭い路地を歩いていると、料亭らしき建物を垣間見ることもありました。
そのような夕食を食べた店の一つに「五十番」という中華料理店がありました。この店はJR飯田橋駅を出て神楽坂の毘沙門天に向かう道(神楽坂通り)の右側にあり、辻さんの事務所に行く度に目に入ったのですが、ときどき店の前に小さな行列が出来ていることがありました。野次馬根性の私はその行列に興味を持ち、あるとき近くに寄ってみましたら、それは肉饅を買うための行列でした。その肉饅は結構大ぶりのものでしたが、試しに数個求めて家に帰りましたら、家族には案外好評でした。
それ以来、編集委員会に出席したとき、たまにその肉饅を買って帰るようになりました。しかし、前述のように「年報」が「インターネットの月報」に変わって編集委員会が無くなり(無くなったと言うより、辻さんが編集を一人で引き受けた形になりました)、また辻さんも1997年に神楽坂の事務所を引き払われたので、神楽坂に行く機会が無くなってしまいました。今般、「経営と情報通信システム研究会」が活動を停止するにあたり、久し振りに「五十番」に出かけて肉饅を購入したいと思っています。 (以上)
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