時の流れの中で
       新田 るり子



 
懐かしい事々を見送り、次への一歩を踏み出す節目の時には、いつも何がしかの心淋しさと、その先にある何かを心待ちする思いとを同時に感ずるもののようです。

「経営と情報通信」研究会が23年間の活動に終止符を打ち、HPも20081月号をもって終刊を迎えると伺い、心に行き交う思いがあります。

 辻さんからお声を掛けていただき、夫謙治郎が研究会の会長をお引き受けしたのは1984年のことだと思います。1991年にはボストンへ赴任しましたので、日本を離れました6年間は殊に何のお手伝いも出来ないという思いが強かったのでしょう。「僕は名前だけで、何の役にも立たない会長だなあ」と言っていたのを覚えています。でも辻さんから座り心地の良い椅子をご用意いただき、知性とお心の豊かさに溢れた素晴らしいお仲間とご一緒させていただく研究会を、夫はとても大事にしておりましたし、そこに身を置かせていただくことを誇りにしておりました。帰国時に会合が重なる折には「今度はね、研究会があるんだよ」とうれしそうでした。後に石井さんから頂きましたDVDで、研究会での夫の講演の様子を見ました。何と生き生きと楽しそうにお話しておりますことか、その表情が全てを語っていると思いました。
 夫はいつも、「僕の財産は、お人との絆だ」と言っておりました。研究会は、皆様とのお付き合いを通じて、その絆を更に太く確かなものにさせて頂ける掛け替えのない場だったのだと感じています。

 私から見えました研究会と夫との関わりの中で、今でも思い出すたびに楽しくなる光景があります。研究会のHPが出来、特集企画に投稿の呼びかけが始まった頃のことです。仕事上の企画書や報告書、或いは依頼原稿等の書き物は夫の帰宅後の日課でしたが、それらは何の迷いもなく手早にこなす人でしたのに、この時だけは別でした。テーマに添って何を書こうかと考え込んでいる様子が、作文の宿題に頭を抱えている小学生のように真剣そのもので、なんとも微笑ましい姿でした。「参ったなあ」の声が今も耳にあります。『私の宝物』のときには「僕の宝物って何だろうなあ」と呟いておりました。「いっぱいありそう、謙さんの大事なもの」と言いましたら、「そうだよね」と何かを思いついた様子で、とびきりの笑顔になりました。仕事には直接結びつかないために、心の中に納めたままになっている事々を文章にするという発想も、ゆとりも、機会も、それまでは殆ど持ち合わせていなかったのでしょう。でも、本当に良いきっかけを頂いたお陰で、その後は、報告書ではない楽しい見聞録や感想文などを沢山綴ってくれるようになりました。それは今、夫の生きた証として私の手許に残り、いつでも夫を蘇らせてくれる『私の宝物』になっています。
 私個人としましても、研究会HPの創作のコーナーに参加させていただいた時期がありました。短歌への憧れをずっと抱いておりましたので、辻さんのお誘いに二つ返事でお仲間に加えていただき、松本東亜先生のお手ほどきを受けました。31文字の中に自分の思いや、自然の情景を込めて表す難しさは想像を越えるものでしたが、拙いなりにも一首、また一首と形になって行く喜びはそれまでに味わったことのないものでした。
 研究会HPは、夫にも私にも、今までとは異なる新鮮な目で、自分の心や物事を見つめ、表現する機会を与えてくださった場でもありました。

 夫が亡くなりますまでの20年を越える年月を親しくお付き合いくださり、その後も生前と変わらぬご厚情をお寄せくださいました研究会の皆様に、夫に代わりまして心からお礼を申し上げます。
 200510月号HPの特集企画では、皆様から夫へのお心こもる追悼のメッセージを沢山頂戴いたしました。そして、200511月、昨秋、今秋と夫の許へお参りくださいました皆様からも、夫との触れ合いや、皆様のお目に映った在りし日の姿をお伝えいただきました。夫への過分な評価のお言葉とは承知しながらも、その一言、一言の温もりが、私に生きる元気を贈ってくださいました。研究会から頂いたもう一つの大きな、大きな『私の宝物』です。

 「経営と情報通信」研究会会員の皆様が、会の中で培われました強い絆は、時の流れの中でも絶えることなく、いつかまた別の形で花開くことでしょう。「good-bye」ではなく「see you soon」でお別れをしたいと思います。皆様のご健康と一層のご活躍を祈りつつ。

 20071212日(夫の月命日に)             


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